又吉直樹『人間』

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『人間』読書感想文 ピストジャム(芸人)

2019/11/6

 『人間』はピカソの絵のような作品だ。ピカソは様々な角度から見た物の形を1つの画面に収めるキュビズムという手法を確立した。キュビズム以前の絵画は対象に似せて上手く描くということが絵画の価値を決めたが、ピカソはキュビズムによって絵画は対象の本質を描くものという新しい価値を提示した。ピカソにとっての絵画は上手いとか下手ではなく本質を描けているかどうかが作品の価値を決める。

 『人間』を読み終わった時、それと同じような 感覚になった。面白いとか面白くないという言葉で『人間』の感想を語ることはできないと思った。僕は読み終えた瞬間、「最高、素晴らしい」と言って拍手をした。すごい作品だと打ちのめされた。

 僕はこの小説の最後の一文を読んだ時、魔法にかけられたような心地になった。物語はその文章ですべて終わったはずなのに、その瞬間から世界中のすべての人間ひとりひとりに光が照らされ、『人間』の物語は主人公を変えてこれからまたどこかでスタートしていくような気がした。

 今回は永山と影島の物語 だったが、地球上のすべての人間に同じようなそれぞれの物語があるんだと思えた。それが人間であるということだと思った。永山は結局答えを見つけることはできなかった。でも弱く迷いの中にある自分を受け入れることができた。何を信じて生きていけばいいのかわからないが自分の存在を肯定できたことが永山の救いとなった。永山がこの先どのような人生を送るのかはわからないが、永山の未来はこの学びによって少しずつ変わっていくことは確かだ。

 『人間』という小説の本質は、人生には救いがあるということだと思う。『人間』はキュビズムの手法で描かれた又吉さんの自画像にも思える。影島はほとんど又吉さん、永山も又吉さん、ほんの少しだけナカノタイチも又吉さんだと思う。又吉さんを分解して様々な登場人物の視点から描き再構築したものが『人間』=『又吉さん』だと考えると『人間』は今までにない手法で書かれた新しい私小説のかたちだと思う。

 『人間』には又吉さんのブラックユーモアも散りばめられている。
 「安易に性的な官能が描かれていることがいやです」と言っていた永山は、その後、性描写を目の当たりにして、これでもかと苦しめられ、「安易に人が死ぬ作品が嫌いだ」と言っていた飯島は自身の死が驚くほど軽く扱われていることにあの世でショックを受けているだろう。

 奥が永山に「スノードームをぐるぐる回転させてみたことある?」と聞く場面では「お前は絶対にやる」「おまえは、その物騒な光景を後悔しながら眺めると思う。自分でそうしていることに気づいていても、逃れられない」と奥が予言する。

 そしてそれは1章の最後で現実となる。永山が打ちひしがれめぐみが泣き叫ぶ混沌としたハウスの外では大雪が降り、ハウスそのものがぐるぐると回転させたスノードームのような光景になっている。

 又吉さんの作品には必ず登場人物が踊る場面がある。『火花』では太鼓のお兄さんの場面、 『劇場』では猿のお面をつけておどける場面、『人間』では下北沢のバーで影島が踊りだす。

 踊りの起源とは神との交流である。踊るという行為は日常を忘れ神々が住む非日常の世 界に入っていくことを示している。つまり、精神が普通の状態ではなくなって狂う状態になっていくことと言える。

 神谷も永田も影島も狂っている。でも又吉さんが描く狂人たちはいずれも強烈に魅力的だ。僕が『人間』で一番好きな場面はバーで影島と永山が別れるところだ。影島は踊り、永山は帰る。影島は永山が帰ったあとも一人でバーで踊っていたと思う。

 ピストジャム(ぴすとじゃむ)
 1978年、京都府出身。東京NSC7期生。吉本興業所属のピン芸人。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。カレー激ハマリ芸人。2019年下北沢カレーアンバサダー、神田カレーマイスター、かしわカレーマイスター。

(「又吉直樹主催〜実験の夜〜」2019年10月29日公演より)

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